1887年4月28日にフランス パリで行われたものが最初と言われています。
記録として残る自動車競技は、1894年7月22日に開催された
パリからルーアンまでの127キロを走った競技が起源となります。
当時は蒸気自動車が多く、最新のガソリン車と一緒にレースが行われました。
そして、1位で到着したのは、蒸気自動車でしたが、ボイラーに燃料をくべる
助手が同乗していたため、ルール上失格扱いとなり、ガソリン車のプジョー Type 3が優勝いています。
タイムは6時間48分、平均時速はおよそ19km、21台出場し、完走は17台という結果でした。
この競技の終了後の夕食会の席上でフランス自動車クラブ(ACF)が誕生。
こちらは現在のFIA(国際自動車連盟)の前身となる組織です。
■国際レース
最初に開催された国際レースは、1900年から1905年まで6回にわたって開催されたゴードン・ベネット・カップ。
1回目の大会は、パリ-リヨン間を競うものでしたが、優勝者の国で翌年開催される事になっていたため、
1903年の大会はイギリスで行われました。
この際、国別に車体の色が決められ、その後車体の塗装色を指定してレースをやっていた時期があります。
【主なナショナルカラー】
・イギリス:緑
・フランス:青
・イタリア:赤
・ドイツ:銀
・ベルギー:黄色
・オランダ:オレンジ
・アメリカ:青地に白のストライプ
・日本:白地に赤のアクセント
フェラーリのF1チームは、ボディが赤ですが、ナショナルカラーを使用しているためです。
(フェラーリ本来のコーポレートカラーは黄色)
■公道からサーキットへ
レースのほとんどが市街地や都市間で行われていましたが、一部を除いた多くの道路が、
未舗装の砂利道だった事や沿道の観客整理の問題、自動車の高速化などリスクが増していきます。
そんな中、1903年に開催されたパリ-マドリード間のレースで、観客を巻き込む事故が発生し、
フランス政府が公道でのレース禁止を発表します。
その事がきっかけで、サーキット建設に拍車がかかったと言われています。
現存する世界最古のサーキットはアメリカのミルウォーキー・マイル。
元々は競馬場として使われていたものを、1903年から自動車レースのサーキットとして使用し始めました。
自動車レースを目的として最初に創業したサーキットは、1906年に創業したイギリスのブルックランズサーキット。
全長4.43 kmのコースに最大30°のバンク角コーナーや完全舗装など当時の最高基準のサーキットでした。
■FIA発足
第二次世界大戦後の1947年に、ACFから発展した国際自動車公認クラブ協会(AIACR)を前身とした国際自動車連盟 (FIA) が設立されます。
レース車両は大きく分けて3つに分類されます。
・フォーミュラ系(オープンシングルシーター)
・プロトタイプ系(スポーツカーレース)
・市販改造車系(ツーリングカー/ラリーカー)
■F1誕生
FIAが規定を制定し、エンジン排気量が自然吸気式4.500cc、過給式1.500ccのオープンシングルシートの最上位クラスとなるカテゴリー。
F1して最初に開催されたのは、1950年で欧米7か国7レースが行われました。
その前年までにも、同様のレースは行われていましたが、規定を統一し、年間でレースの入賞に応じてポイントが与えられる
世界選手権はこの年からスタートしています。
1950年のグランプリは、34チーム、57名のドライバーが参加していますが、7戦すべてアルファ・ロメオチームが優勝しています。
■F1の歴史
◆1950年代
前半は、アルファ・ロメオ、フェラーリ、マセラティのイタリア3大ワークスチームが台頭。
54年には規定が「自然吸気式2,500cc、過給式750cc」に変更となり、
戦前の強豪メルセデス・ベンツが斬新な新技術を投入して復帰し、席巻。
イタリア勢はワークスの撤退やドライバーの事故死で徐々に勢力を失っていきます。
また後半は、クーパー、ロータスなどのイギリスの独立系コンストラクターが躍進。
59年にはクーパーがミッドシップマシンを登場させ、ワールドチャンピオンに輝き、
後のマシーンに大きな影響を与える革命を起こしています。
◆1960年代
1961年にエンジン排気量を「自然吸気式1,500cc以下(過給式禁止)」と規定され、
葉巻型と呼ばれる軽量のマシーンが登場します。
ブラバム、マクラーレンなどドライバーがオーナーを務めるチームも誕生。
2度のワールドチャンピオンに輝いています。
66年には、エンジン排気量規定が「自然吸気式3,000cc、過給式1,500cc」に改定され、
ワイドタイヤやウイングなど今日では当たり前となっている姿が登場。
長らく多くのチームに供給された高性能な量産型エンジン
「フォード・コスワース・DFVエンジン」もこの時代に登場しています。
この時代に、FIAが広告活動を解禁した事で、ナショナルカラーのボディから、
カラフルなスポンサーカラーに包まれたマシーンも登場しています。
1964年中盤からはホンダが参戦。
2輪の国際レースで成功を収め、新たな挑戦として4輪の最高峰へ挑みました。
1968年に撤退するまで、2回の優勝を飾っています。
◆1970年代
DFVエンジンとヒューランド製変速機の普及により、「キットカー」と呼ばれる
パッケージマシンを製作して新興コンストラクターの続々と参戦。
世界規模のモータースポーツイベントに拡大し、世界各地を転戦し、
ドライバーも国際色豊かとなり、F1サーカスと呼ばれるようになります。
1976年と77年には、日本の富士スピードウェイで日本グランプリも行われました。
この時代は、空力デザインが試行錯誤された事で個性豊かなマシーンが登場。
ティレルの6輪車など斬新なマシーンもありました。
<グランドエフェクトカーの登場>
77年にロータスがグランドエフェクトカーを開発。
78年に登場したロータス79は圧倒的な強さでグランプリを席巻しました。
ベンチュリー効果を活用し、強力なダウンフォースを発生させて、
地面に吸い付くように走る事でコーナーでの高速な走行が可能となりました。
その後、一気に他のチームにも波及する変革を起こし、当時弱小だった
ウイリアムズが上位に進出するきっかけとなりました。
またこの時代は、ルノーがターボエンジンの開発を進め、次の時代の先鞭をつけます。
◆1980年代
グランドエフェクトカーは一気に広がったものの、バランスを崩した際に
重大な死傷事故となるケースが相次いだ事で、規定が変更され、83年以降姿を消していきます。
一方エンジンはターボ全盛期を迎え、パワー競争時代に突入し、
TAGポルシェ、ホンダなど最強エンジンを開発したチームが優勝を独占する傾向となります。
商業的にはテレビの放映権収入が入るようになり、巨大ビジネス化していきます。
フジテレビでの放送が行われていたものこの時代です。
またこの時代は、日本がバブル経済期だった事もあり、日本企業がスポンサーなったり、
チームを買収して参戦したりして、国内にF1ブームが起こっています。
◆1990年代
ターボによりパワー競争で、F1以外のレースで重大事故が続発した事により、
1989年に「自然吸気式3,500ccエンジン、過給式エンジン禁止」の規定に改定。
それにより、総合的なマシーン開発に傾倒する時代となり、アクティブサスペンションや
セミオートマチックトランスミッションなどハイテクな技術が投入されていきます。
1991年には、日本でも馴染みのあるドライバー アイルトン・セナ氏が事故死するなど、
死傷事故が相次いだ事でスピード抑制策として「自然吸気式3,000cc」に排気量が
縮小されています。












